「いじめ」
オレはこう思う

 

 結論から先になるが、「いじめ」は無くなることはまず無いと思う。

なぜならば、人間が他人に対して「ムカツク」とか「怒りを覚える」といった行動が

無くなるとは思えないし「怒り」という感情がなければ今日のような

「ストレス社会」も生まれないと思うからだ。

 逆に「ライバル意識」等は、「怒り」からくるものもあるだろうし、いってみれば

冷静さを失わなければ、「怒り」も大切な人間の感情のひとつであると思う。

 

 まえおきが長くなったが、ムカツク人間が一人もいない世の中なんて

つまらないと思うし他人をいじめたいと思う気持ちは誰にでもある感情では

ないだろうか、ただ事の大小の問題でいじめられっ子が自殺という、

決断を下すまで当事者以外の人間は、いじめに気がつかないのがほとんどだと思う。

 

 しかし、オレは「いじめを肯定する気はさらさら無い」。

 

 よく「いじめ」に関する本とか、セミナーとかを目にするが、

いじめが広がる原因は、この様な本やセミナーのやり方に

あるのではないだろうか、この様な本を書く人やセミナーを行う人の行動を

否定するつもりは無いし、世間一般には、功績をたたえるべきだとは思う

しかしだ、いじめられている人間がこういったものを見て

安心するのだろうか、そもそもいじめられている人間が見ず知らずの人の意見で

立ち直れるぐらいなら、その人はたぶんいじめを克服できる要素をたくさん持って

いただけにすぎないと思うし、残念ながらこの様な本やセミナーによって

いじめがエスカレートしたという話をよく聞くし、オレ自身いじめにあっていた時

そのいじめっ子はこういった本に刺激されいじめがエスカレートした。

 いじめっ子というのはまず「いじめを理解」している、悪い事だと自覚している

つまり乱暴なものの言い方にはなるが

「理解しているがやめられない、もしくはやめたくない」わけだ

もっと言ってしまえばいじめっ子というのも、精神的に病んでいる状態なわけで

そのような人間に、一般論が通じるのだろうか、通じるわけがない

 

 いじめ撲滅をうたう人は立派な人や人間的に優れている人が多いと思う

そのような人は果たして「いじめた経験」や「いじめられた経験」があるのだろうか

よくいじめっ子に「ナゼいじめるのか?」と質問する人がいるが

その質問自体無意味だ、なぜなら理由があっていじめているいじめっ子など

皆無に等しいからで、「ムカツクから」、「太っているから」、「痩せているから」

「大人(先生等)に告げ口したから」、悲しいが「身体障害者だから」等と

答えるが実際は違うところに問題はあると思うし

いじめ撲滅運動じたいが「いじめ」が広がる運動になってしまっている。

 

 この問題に結論をつけるのは難しいが、オレが分かって欲しいのは

「いじめ」という存在は、誰にでもふりかかるもので「いじめっ子が悪い」とか

「いじめられっ子も少しは反論しろ」というような、どちらか一方を

責めれる問題ではないということ。

 

 だってそうじゃないか、人を殴ったり、おとしいれたりして本当に

心がスカッとする人なんて、マンガやテレビの中にしかいないんだ

他人のできることはどこかで狂ってしまった、お互いの歯車のクラッチを

もう一度つないであげるもしくは、つながるように導くことしかすべきではない。

 

 でしゃばるな、他人からの干渉で事態はもっと酷くなる

なぜならば、心の底から人を憎める人は、本当の愛を知れるのだから。

(終)

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