説教「愛、平和、喜び」



ミカ書4:1−5、ヨハネによる福音書15:9−12   徳善 義和


 旧東ドイツ、共産党の支配のつづいていた時代のことである。1980年代の初め、ヨーロッパは東西両陣営の、核弾頭中距離ミサイルの配備で緊張がつづいていた。配備されるのはそれぞれ東ドイツと西ドイツ、射程距離から言っても照準が互いに自分たちに向けられることになるのは明らかだった。

 その頃の東ドイツの教会は、1945年共産党政府ができてからの、陰に陽にの嫌がらせや弾圧のせいで、かつてほぼ100パーセントのプロテスタントだった状態から、人口の50パーセントを割る状態にまでなっていた。その教会が、ミカ4章3節の「剣を鋤に」を標語にして、平和を訴えつづけていた。シールやワッペンもあった。シールを車のバックウィンドーに張っていた人は、交通法規をたてまえに、警察によってはがされた。自分のジャンパーの背中にそれを大きく書いて歩いていた、キリスト者の青年は、別件で逮捕、拘留された。

 同じく東ドイツのライプツィヒ。バッハで有名なトマス教会から200メートル、市中心部のニコライ教会ではずっと長いこと、さほどの人が集まらなくても、毎週月曜夕に「平和の祈り」の礼拝が持たれていた。これが1989年秋、そこに人が集まり始めた。遂には聖壇の上にまで人が座るほどになったのである。人々はそこで平和のために祈り、平和について語りあった。政府も警察も軍もこれに目をつけて、監視し始めたが、この平和の祈りはうねりのように、ベルリン、ドレスデンなど大小の町にも広がっていった。機動隊が外で監視する中で守られた礼拝はあくまでも平和の祈りに徹することを強調するために、あるときは灯したロウソクを手に、あるときはバラの花を手に散会したとも言う。

 高まりは10月から11月にかけて最高頂。警察や軍の対応も厳しさを増した。11月後半からは一触即発、弾圧寸前の状態にまで至った。後で分かったことだが、第一線には発砲の許可まで出ていたという。ニコライ教会から、ゲバントハウスオーケストラとオペラ劇場の間の広場に出て、平和の行進をしようとする信徒たち、市民たちにあわや実力による介入という事態にまで及んだ。その時、軍や警察と市民との間に割ってはいったのが、オーケストラの指揮者マズール(その夫人の父は日本聖公会司祭)や知識人たち。これで流血の惨事を免れただけでなく、やがてベルリンの壁崩壊(11月9日夜)という、歴史の大きな転換、変革をもたらしたのだった。文字通り、平和のないところに「平和を作る」運動と戦いだった。「平和の祈り」の果たした役割は無視できないのである。

 平和主日のための福音書の日課には、「平和」の文字はない。しかし、平和がどこに根拠をもつかがはっきり示されている。

 愛は働き、動くのだから、愛には方向がある。父なる神の愛からキリストの愛、そこから私たち互いの愛である。この愛のあるところ、この愛が働きつづけるところ、喜びが満たされる。この愛と喜びとの間に見えてくるものこそ、平和である。

 この根拠を得て、平和の祈りも可能になる。さらに平和の祈りは平和の努力ともなろう。神の愛、キリストの愛に心動かされ、心開かれて、隣人に心を開き、赦しを求め、また赦しあうことができるようにもなる。平和は抽象ではない。平和は私たちの祈りにおいてまず具体化し、ひとりひとり、また、心を合わせての、一歩一歩の平和の努力において具体化する。

 平和のために祈らなければならない。


(1996年 8月 4日 平和主日)