今回のエッセイです。
男子厨房に
前回までのエッセイです。
日本人は風呂が好き
作品紹介?
大不況とは言うけれど
ああ中華鍋
エコエコ呪文
仕事が終わるとき、それから
プロの見識
困った隣人
士族の再試験
団塊世代のこれから
構造計算書偽造事件
テレビCMの威力
日本人らしく
50になって
家相が気になる
身近な犯罪
庭付き?一戸建て
朝鮮半島の明暗
走れ!イチロー
先生ではありません
桜はなぜ美しいのか
建築設計のIT革命
少年犯罪の根
野球の楽しさ
日曜料理
Agoraのこと
杜の都の虚実
建築家の文章
ホームページを作ろう
設計入札をダンピングで取る方法
厚生省汚職事件
なぜ姓名を逆に書くのか
ドーピングのこと
3次元CAD・CGは建築を変えるか
牛乳を飲むときのポーズ
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このごろ思うこと(この内容はときどき変わります)
「日本人は風呂が好き」
ほとんどの日本人は毎日入浴することが習慣になっています。世界的に見ても極めて希なことで、温泉に入る猿もニホンザルだけです。諸外国ではシャワーで済ませることが多いようですが、上水道もポンプもなかった時代にはシャワー設備は不可能ですし、どうしていたのしょうか。おそらくほとんど体を洗うことはなかったのでしょうね。その点、日本には少なくとも江戸時代には銭湯の文化がありましたから、やはり昔から世界に冠たる清潔好きだったということですね。また、浴槽の外で体を洗って、家族が交代で同じ湯に入ることも日本だけのようです。それを不潔に感じる外国人もいるようですが、あの泡風呂というのもどうかと思いますよ。いくら最後にシャワーを浴びるといっても、自分の垢や髪の毛の浮いた湯に浸かっていても気分良くありません。
ところで、いくら清潔好きといっても、毎日入浴する必要があるのでしょうか。昔はどこの家でも(経済的理由もありますが)2・3日に一度だったはずです。それで誰も汚いとも思わなかったし、病気にもならなかった。それを毎日ということになれば、水資源を無駄に使い、下水設備の負荷も増え、光熱費も掛かるし、石鹸水の環境汚染も進むことになります。まさに今はやりの「エコ」に逆行するではないですか。体を洗うことが目的なら、シャワーで足りますよね。確かに、日本人の潔癖性は度を超えていると思います。
それでも、日本人の毎日入浴は変わらないと思います。節電だ、省エネだとうるさい人達も問題にしていません。それは、清潔に保つことだけが目的ではなく、むしろ「生きるためのリラックスタイム」なのです。浴室は気分転換や疲労回復の場でもあり、誰にも邪魔されない個の空間でもあり、小さい子がいる家では団らんの場でもあります。何かとストレスの多い日本人には、一日の最後にリラックスする時間が必要なんですね。私も毎日入浴読書を楽しんでいます。住宅の設計をしていても、「お風呂だけは贅沢に」と言って、浴室を重要に考えるお客さんが多くなったと感じています。
2009/04/21 小林
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このごろ思うこと(この内容はときどき変わります)
「作品紹介?」
自分が設計した建物を「作品」と呼ばれると、何となく違和感を感じてしまいます。絵画や彫刻・小説ならば、または巨匠と呼ばれるような建築家が設計したものならば「作品」でしょうが、私の場合はちょっと違うなあと思います。自宅でもない限り、自分の考えだけで設計はできません。設計は色々な関係者の共同作業なのです。特に住宅の場合は住む人の夢を形にすることが仕事と思っているので、むしろ建て主の作品といえるかもしれませんね。
「作品紹介」に使われる住宅写真のことです。建築家のホームページや建築雑誌に掲載される写真を見てどういう印象を受けるでしょうか。「かっこいい」か「ワー、ステキィ」か。あくまでも整然としていて、どこもかしこも綺麗ですね。でも、どうやって生活しているんだろうと疑問に思うものも少なくありません。手すりのない階段、ガラス張りのお風呂、生活感のないリビング。結局作品紹介の写真ではなく、写真が作品になってしまっているんですね。そこには人間が見えません。
雑誌に載るような家がほしいと思う人もいるでしょうが、住宅の価値ははそこに住む人が快適に生活できることがすべてだと思います。写真も私の場合は、竣工後何ヶ月か経ってから撮影させてもらうようにしています。住人の普段の生活が見えるような写真にこそ価値があると思うからです。
2009/04/21 小林
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このごろ思うこと(この内容はときどき変わります)
「大不況とは言うけれど」
つい先日のことです。とある検査機関に確認申請を出したのですが、1週間足らず(実質3日)で確認が下りてしまって、驚きました。私の経験では最短記録です。一昨年6月の建築基準法改正で審査期間が長くなったのですが?、不思議です。ひょっとしたら、申請の件数が減っているのかもしれません。
「百年に1度の」とか「戦後最悪の」とか「未曾有の」世界大不況だそうです。去年の秋までは緩やかな好景気といっていたはずなのに、不景気はあっという間にやってきました。メディアは不安をあおり、さらなる不安を増殖して消費が冷え込んでいます。車や家電などのメーカーはリアルタイムに不景気の直撃を受けますが、建設業関係は仕事のスパンが長いので、まだ表面化していないようです。これから深刻な状況がやってくるかもしれません。企業は設備投資を押さえ、個人はローンを組むことに躊躇します。税収が減れば公共事業も冷え込むでしょう。不安の再生産が進みます。オーコワ。
別なお客さんと雑談していて、「今はチャンスですよね」という言葉が出てきました。私もそう思います。需要が減ればコストは下がるものです。建材メーカーも建設会社・ハウスメーカーも、生き残るために必死に競争しています。業界の利幅が小さくなるのはつらいですが、消費者にとっては悪いことではないはずです。実際に鉄筋や多くの建材も驚くほど値下がりしています。こういった時代だからこそ、じっくりと時間をかけて納得のいく家造りができると思います。
2009/02/21 小林
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このごろ思うこと(この内容はときどき変わります)
「ああ中華鍋」
中華料理が得意だということは以前書きました。例えば肉と野菜を炒める場面。ガスレンジの上で中華鍋を振っていると、鍋とレンジが接触する時間はわずかで、ほとんどは空中にあって、時々火が移ってブワーっと燃え上がったりして、火炎地獄の中で食材が踊る。この鍋振りの技はけっこう自信があって楽しいし、いかに強い火力で短時間に仕上げるかで味が決まります。愛用の中華鍋は20年以上使ってきて鉄肌の具合が悪くなり、買い換えることにしました。ところが、、、知る限りの店を探し回っても、私が欲しい中華鍋が見つからないのです。どういうことだ。
中華鍋というものは半球状の形で、球面を利用して鍋を振ることによって食材がひっくり返るものだと思っています。ところが、中華鍋と称して売っているものは全て底が平らなのですよ。いわば深型フライパンみたいな代物で、納得できません。不思議に思って説明書を読むと「IHクッキングヒーターでも利用できます」、ウンーーン、思わず唸ってしまいました。
IHは鍋の底が平らでガラス面に接触していなければ熱が発生しません。世の中から丸い中華鍋を駆逐してしまうほど普及してきたということでしょうか。そういえば、最近はテレビの料理番組でもIHを使っていますね。やがて豪快に鍋を振るような料理はなくなってしまうのかなあ。白状しますと、IHの家は何軒か設計しましたが、私は使ったことがありません(笑)。結局はやむを得ず底の平らな中華鍋モドキを買ったのですが、まだ手になじんでいないというか、使いこなせないでいます。ちょっと悲しい。
2007/12/22 小林
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このごろ思うこと(この内容はときどき変わります)
「エコエコ呪文」
「エコ○○○」という言葉が流行ですね。たとえばエコバッグ。この「エコ」はエコロジー(Ecology)のことですが、元来「生態学」という意味で、環境保護や省資源といった意味で使うのは日本だけらしいです。流行というより氾濫しているような状況で、いささかうんざりしています。エコバッグにしても、最初に聞いたときは何か自然素材でできたバッグかなと思ったのですが、レジ袋の消費を減らして原料の石油を節約するためのバッグだからエコだ。って何だ。ただの買い物袋だろう。
建築の世界にもエコがあふれています。定義の曖昧なエコ住宅・エコライフ、給湯は電力会社が大推薦のエコキュート、ガス器具会社はエコジョーズで反撃です。マイホーム発電エコウィル、断熱に優れた雨戸エコシャッター、高断熱復層ガラスはエコガラス。切りがありません。
もとより温暖化防止や環境保護という考えに反論する人はいないでしょう。「エコ」は企業や商品イメージを高めようという営業戦略の呪文のようなもので、エコノミーのエコだと思った方が分かりやすいかもしれませんね。呪文に惑わされてはいけません。エコキュートは確かに家の廻りでCO2を出さないので環境にいいような印象を受けますが、火力発電が主力の現状では、同じカロリーを得るために排出するCO2は都市ガスや灯油よりも電気のほうが多いという話もあります。電力需要が増えて原子力発電所を造る口実にされるのもイヤですね。
2007/10/25 小林
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このごろ思うこと(この内容はときどき変わります)
「仕事が終わるとき、それから」
工事が終わって、いよいよ竣工引き渡しというとき、私はいつも複雑な気分になります。全くの白紙から建て主と二人三脚で進めてきた仕事が終わり、目の前に建物が存在する。苦労が報われたという喜びはもちろんあるのですが、、、。私は自分が設計した建物が自分の子供のような気がしているんですね。手塩にかけて育てた我が子が立派に成長した喜び。自分の手を離れてしまうという寂しさ。そういった感情がない交ぜになって胸に迫ってくるのです。
それから、引き渡したあとのことです。建物は竣工時点が完璧で何もかも新品できれいで、その後は老朽化が進み、使いにくく汚くなるばかり、という考えの人がいます。それは大きな勘違いだと思います。建物は竣工してから新たに成長を始めるものです。そこに住む人、管理する人が手を加え、愛着を持って維持していくことによって、その人の個性や人間性がにじみ出てくるような建物になるのです。いわば竣工した時点が成人式で、それからの人生を美しく老いてゆく姿に似ています。そして、老成した時期を迎えたときにこそ、その建物の本当の評価が定まるものだと思います。自分が設計した建物はずっと見守っていきたいものです。
2007/08/31 小林
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このごろ思うこと(この内容はときどき変わります)
「プロの見識」
テレビの「ドリーム○○」を見ていて思ったことです。もともと「ビフォー○○」とか、この手の番組は滅多に見ないのですが、たまたま恐ろしいものを見てしまいました。それは、、、非常に予算の厳しい住宅で、床にフローリングを貼る費用を節約するために、シナ合板を数p幅で切断し、フローリング風に貼っているのです。「とってもきれいで、安くて、立派な床ができました〜〜♪」ってオイオイ、ちょっと待ってくれよ。シナ合板は素朴な木肌が好きで私もよく使う材料ですが、壁・天井・建具には使っても床に使ったことはありません。床には床材としての強度・耐摩耗性・防滑性が必要です。シナ合板の表面は爪を立てると爪痕が残るような強度しかないもので、おそらく1年経ったら傷だらけの汚い床になるに違いありません。番組はそんなことには無頓着に夢のような家ができてしまいます。私が心配するのは次のようなことです。
依頼者>工事費を節約するために床はシナ合板で仕上げてください。安くなるでしょう?。
設計者>そんなことはできませんよ。(くどくどと説明)
依頼者>でも、テレビできれいに安くできると言ってたましたよ。
設計者>それは間違いです。きっと後悔しますよ。
依頼者>(この人はローコストのテクニックも知らないし、何か信用できないなあ)
フジテレビ系の「あるある○○」で健康やダイエットに良いと放送すると、翌日には寒天や納豆が店頭からがなくなったりしたものですが、結局ウソでした。テレビで放送したり、雑誌や本で活字になった情報は正しいという思いこみは怖いものです。
家造りはほとんどの人にとっては初めての経験で、分からないこと、戸惑うことばかりなのは当然のことです。あらゆる手を尽くして勉強することは大変良いことだと思いますし、設計者を選別するためにも必要なことです。ただし、長年経験や知識を積み重ねたプロの言葉を謙虚に聞く姿勢も必要なことだと思います。
2007/07/29 小林
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このごろ思うこと(この内容はときどき変わります)
「困った隣人」
毎日必ず北朝鮮関連のニュースが流れています。特に核実験以降はその質も量も増えているようです。国家ぐるみで様々な犯罪を犯すような国が、しかもすぐ隣の国がおぞましい兵器を手にしたのですから、その動向に注目するのは当然のことでしょう。私も気になってしょうがありません。常識を共有できる相手であれば話し合いの余地がありますが、どうもまともな話が通じる相手ではないようです。このままいくと、クーデター、朝鮮戦争再開、国家崩壊、大量の難民発生などなど、破滅的な展開も予想されますし、日本も無事ではいられないでしょう。とにかく戦争はいやです。いつの時代も戦争の犠牲者になるのは一般市民ですから。
もし隣家の住人とうまくいかなくて敵対するようになったら困りますね。せっかく手に入れたマイホームを手放すわけにもいかないし、何とかうまくやるしかないでしょう。住宅を設計するときも隣家との位置関係は重要な要素になります。特に視線の問題はプライバシー侵害や感情的なもつれになりかねません。まず、北側に大きな窓を作らないという暗黙のルールがあります。北側隣家の南面には大きな窓があるはずで、窓が向き合うと互いに「見られているのではないか」、「見てると思われているのではないか」と不安になります。北側に玄関を作って、出入りするたびに隣家のリビングが丸見えというのもまずいですね。小さな窓でも、隣家の窓とあまりに近すぎると、明かりや音の問題が生じることもあります。どうしても窓の位置を変えられない場合は、三角出窓を作ったり、高さを変えたり工夫することもあります。
国土を移動することは不可能ですし、隣人を選ぶこともできません。北朝鮮の問題がこれからどのように推移するか分かりませんが、60年余守ってきた日本の平和は守り通して欲しいと願うばかりです。
2006/11/10 小林
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このごろ思うこと(この内容はときどき変わります)
「士族の再試験」
「士族」と書くと明治時代の戸籍制度で元武士の意味ですけど、これを「さむらい族」と読むと意味が違ってきます。弁護士・税理士・不動産鑑定士・司法書士、行政書士・会計士・気象予報士といった国家資格を持って、それを職業としている人々のことです。建築士である私もその一人ですね。さむらい族に共通していることは、それぞれの高度な専門知識だけでなく、高い職能意識と倫理観が必要なことだと思います。さむらい族の仕事は顧客から専門的な仕事を委任される業務です。素人にはさっぱり分からないから代わりにやってよ、といった仕事です。それもかなり重要な。その関係はさむらい族が不正をするはずがないという常識の上に成り立っています。
去年の構造計算書偽造問題から始まった、建築士法改正に関する論議が大詰めを迎えています。国土交通省が一級建築士全員を対象に再試験を実施する方針を打ち出して、建築士会や関連団体から総スカンを食らっています。私が主催するAgora(全員一級建築士)でも「姉歯のトバッチリはごめんだ」「試験に落ちたら失業か?」「今さら受験勉強なんて無理だよ」、当然ながら批判的意見しかありません。姉歯問題は彼個人の職業倫理の欠如、犯罪行為であって、技術・知識の優劣の問題ではないはずです。まさにさむらい族にあるまじき行為です。技術・知識の問題はむしろ建築主事(確認申請を審査する資格、多くは公務員)にあるはずです。国交省にすれば、倫理観を客観的な試験で判別することは不可能だけど、問題が大きいので何かしないといけないという思惑でしょうね。意図的に問題をすり替えているとしか思えません。何の解決にもなっていない。
たまたま他のさむらい族と知り合ったりしますと、いわば同族の親近感のようなものを感じます。それは社会的に重要な仕事をしているという誇りを共有しているからでしょう。ちなみに、定期的に再試験を課すさむらい族の資格はありません。不正をするかもしれないという目で見られることは、さむらいの一人としては不本意ですけど、顧客の側にも真のさむらいを見抜く力が必要になったのかもしれませんね。
2006/08/18 小林
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このごろ思うこと(この内容はときどき変わります)
「団塊世代のこれから」
1947〜49年(昭和22〜24年)約800万人の子供が産まれました。いわゆる団塊の世代です。彼らはその数の多さにものを言わせて常に日本を代表する世代と言って良いでしょう。まるで出世魚のように日本の世相を反映する言葉を生んできました。受験地獄、全共闘、ニューファミリー、モーレツ社員、リストラ、熟年離婚、こう並べてみると、いかに過酷な人生だったことか。
私は昭和29年生まれなので、彼らの弟分みたいな存在です。近所の子供達が集まって遊ぶときから、学校の部活、会社に入っても常に先輩・上司がいっぱいいて、相対的に後輩・部下は少ないという宿命の中にありました。必然的に兄貴分との人間関係は濃密なもので、叱られたり、誉められたり、励まされることも、多くの想い出となっています。彼らを表す次の言葉は何でしょうか。それは「セカンドライフ」だと思います。来年から停年を迎えて、会社から開放された膨大なエネルギーは何処に向かうのか興味があります。
団塊世代は体力も能力もまだまだ十分保持していて、停年を迎えても、年金制度への不信感もありますが、まだ働きたいと考えているようです。「子供達がいなくなってからの人生の方が長いんですよ」、私が住宅を設計するときによくいう言葉です。夫婦二人だけの生活で、現役時代と違って余暇を楽しむ時間もある。マンションか一戸建ての家を保有している。それでは彼らの住宅はどうあるべきでしょうか。セカンドライフを楽しむためにリフォームしたらどうでしょうか。過酷な人生を送ってきたことへのご褒美です。子供部屋を趣味の部屋に改造。個室をぶち抜いてホームシアターに。二世帯住宅に増築して孫と遊ぶ。色々と考えられそうですね。団塊世代ジュニアが家を建てる時期とも重なって、今後の住宅需要に大きな変化があるだろうと考えています。
2006/06/30 小林
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このごろ思うこと(この内容はときどき変わります)
「構造計算書偽造事件」
初めてそのニュースを聞いたときは、唖然としてしばらく言葉がありませんでした。その行為の重大性がすぐに理解できたからです。当の建築士が平然と受け答えしていることにも当惑してしまいました。構造計算書を偽造するなどということは考えたこともなく、噂すら聞いたこともありません。テレビでは「氷山の一角ではないか」という心配が取り沙汰されていますが、そんなことはありません。あれはまったく特殊な犯罪です。ただし、今回名前が挙がった会社や個人の問題で終わるはずはなく、建築業界全体、特に設計事務所が失った信用は計り知れない。
当社でも木造以外の建物は構造設計を外注しています。20年来つきあいのあるしっかりした事務所です。とにかく安全な設計で、現場の鉄筋屋さんにも「すごい鉄筋量だなあ」といつも呆れられます。構造も設備も下請け任せにすることはありません。建築基準法で定める数値はあくまでも最低の基準なのであって、それからどれだけ安全側の設計にするかは設計者の判断になります。ぎりぎりの設計をするか、十分に安全な設計をするか、当然後者の方がコストが掛かりますが、私の判断は常に後者です。
建築基準法違反容疑で大規模な強制捜査などという話は過去にありませんでした。まさに建築設計の世界を根底からひっくり返すような出来事です。確認申請の審査機関が不正を見抜けなかったことは、残念なことですが、無理からぬことだと思います。設計に間違いがないかを「確認」するのが仕事であって、犯罪を摘発するためのものではないからです。ほとんどの(「全ての」と書けなくなった)設計者は法律を守る以前に、「人命を預かっている」という使命感を持って仕事をしているのです。それは構造に限った話ではなく、手摺の強度、火災の予防、健康への影響など人命に関わる部分はいっぱいあります。今後この問題がどういう展開を見せるのかが心配です。建築基準法、建築士法の改正は必至でしょうね。それによって、我々の仕事がどう変わるのか予想もつきません。改めて我々の仕事の重要性を再認識させてくれる事件です。
2005/12/23 小林
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このごろ思うこと
「テレビCMの威力」
建築関連サイトの掲示板を見ていて面白い記事を見つけました。○○ホーム(大手ハウスメーカー)の評判はどうか、「マツイが宣伝しているから大丈夫?」という質問で、専門家が親切に回答しているにもかかわらず、「やっぱりマツイのファンだから○○に決めまーす」。「だったら、最初から質問するなア!!」と専門家。思わず大爆笑してしまいました。お菓子やビールのCMならまだしも、住宅でも贔屓のタレントのCMで決めようという人がいるのかあ?。数日後に見たらスレッドごと無くなっていたので冷やかしだったのかも知れませんね。
それで思い出したことがあります。住宅の相談でいらっしゃった方からハウスメーカーの見積書を見せられたことがあり、その中には「諸経費」も「設計料」も計上されてなくて唖然としたものです。不思議ですよね。テレビCMを流すには、マツイ選手のギャラとかテレビ局の経費など、億単位の金額が掛かるはずです。会社を維持する経費、住宅展示場を作り、お茶を出すお嬢さんを雇って、大勢の営業マンの人件費はどうしているんでしょうか。諸経費(儲け)の無い住宅を造っていてはたちまち倒産してします。実際には諸経費も設計料も掛かるわけですが、それを見積書に計上しては値切られる危険性がある、あるいは「そんなに儲けているのか」とばれてしまうのを避けるために、工事費の中に紛れ込ませて建て主には分からないようにしているんですね。自分が払うお金がどの様に使われるか分からない。不安じゃないですか?。
ハウスメーカーがテレビCMにどれだけ費用を掛けても、「テレビでやっているから安心」と勘違いして来てくれる客がいれば安いものかも知れません。欠陥住宅のサイトを回ればそうでもないことが分かります。ハウスメーカーは自分の取り分を差し引いて、大量購買で安く仕入れた材料を支給して、下請けの工務店に仕事を廻します。実際に工事をするのは地元の大工さんです。欠陥住宅ができてしまったら、ニューヨークまで苦情を言いに行きますか。
2005/09/06 小林
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このごろ思うこと
「日本人らしく」
妻が髪を茶色っぽく染めるようになったのはもう数年も前のことです。「不良中年!」といってみら、娘との連合軍から数倍の反論を浴びてしまいました。確かに[茶髪=不良]という偏見は今はなく、廻りを見渡すと黒髪の女性はほとんどいない。何か悲しい。単なる流行のお化粧とは分かっていても、日本人らしさを捨てて白人の真似をしているように思えてなりません。海外からどの様に見られているのかも気になります。
生活スタイルが洋風化するにしたがって、住まいの形も変わっていくものです。最近では畳の部屋がなくなりつつあります。畳の生産量はこの10年で半減したそうです。ベッドとソファの生活には必要ないでしょうし、客間として和室を造っても無駄な部屋になってしまうからでしょう。でも、日本固有の優れた床材が無くなってしまうことは、黒髪の女性と同様に寂しい気がします。リビングの一画にタタミコーナーなどという考えもいいですね。
次の段階として私が気になるのは、玄関のあり方です。家に入るときに履き替えるかどうか。欧米の住宅ではドアを開けるといきなりリビングで、「玄関」という概念がないといっても良いです。日本でも住宅以外では履き替えない建物が常識になりました。昔のように泥靴や下駄で来る人はいなくなりましたから。私が得意とする病院建築では、受付・待合室までは下足のままで、診察室に入るところでスリッパに履き替えるという設計が多くなりました。また、バリアフリーの考えから、玄関にも段差をつけない設計が多くなりつつあります。これらのことから、いずれ玄関が無くなる時代が来るかも知れないと思えるのですが、どうでしょうか。私の考えでは、どれだけ生活が洋風化しても、日本人が自分の家に土足で上がることはないだろうと思います。いくら合理的なことであっても、そこまで日本人らしさを失ったら恥ずかしいことです。
2005/02/21 小林
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このごろ思うこと
「50になって」
50になって何ヶ月か経ちましたが、まだなんか自覚がありません。「50歳」という言葉から来る印象(年寄り)と自分自身の感覚(まだ若い)がずいぶん違うからです。大学を出て27年、結婚して25年、独立して13年ですから間違いない。これが大きな会社に勤めていてだんだん部下も増えて、部長などと呼ばれていたら「オレもそういう年になったかア」と自覚するのでしょうけど、ずっと一人で同じような仕事を続けているので、何か節目を感じることがなかったからですかね。
同い年の有名人はどんな人か気になりました。中畑清・田尾安志、野球の監督は指導力があるんでしょう。安倍晋三、政界では若手と呼ばれる。古舘伊知郎・所ジョージ、軽いのりの司会者。石田純一・佐野史郎・デンゼル=ワシントン、円熟味のある俳優は色気のあるお父さん役か。明石家さんま・関根勤・郷ひろみは一つ違い。なーんだ、みんな頑張ってるじゃん(笑)。急に仲間になったような気がする。やっぱり50というイメージじゃないですね。
建築の世界は実に奥が深く、経験を積まなければ分からないこともいっぱいあります。50になったということはそれだけ信用に足る経験を積んできたのだと思うことにしました。確かに現場で職人さんに馬鹿にされることもなくなりました。若い頃から大型公共建築に携わって、一丁前の建築家になったように勘違いしていた時期もありましたが、今では細かいところままで目が行き届くような小さな建築で、いい仕事が出来るようになったなあと実感しています。
2004/12/28 小林
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このごろ思うこと
「家相が気になる」
中東からの悲惨な報道が途絶えることがありません。テレビを見ながら思うことは、テロリストでもない普通の市民でも非常に信仰心が深いことです。まるで全ての生活の規範・価値観がイスラム教に根ざしているような印象を受けます。それにしても、どんな宗教でも人々を幸せにしたり平和にするためにあるはずなのに、テロや戦争が宗教によって正当化されるのは理解できません。
日本人はどうでしょうか。特定の宗教を信仰する人は少数派で、大雑把に見て、どうも信仰心の薄い民族のように思えます。神式で結婚して葬式は仏式なのに、クリスマスや初詣・お盆も欠かせない。我が家には仏壇もありますが、親への気持ちの表現であって、自分が仏教徒と言えるかどうか。宗教的な意味合いを離れて、日本人の風習と思えばいいのでしょう。
宗教とはちょっと違うのですが、家づくりの時に気になるのは「家相」ですね。家を設計するときは依頼者に必ず確認しなければなりません。キリスト教を信じる人は家相にこだわることはないでしょうし、気にしない人の場合は無視して設計しますが、気にする人の場合はできるだけ家相に従って設計します。ただし、あまり厳格にこだわると家にならないので、基本的なところは守る程度です。家相は中国の風水に日本の土着信仰が混じったような迷信です。設計の自由度を妨げ、不合理なこともいっぱいあります。家相にこだわる人の設計はしないという建築家もいます。私も以前は「家相は迷信です」といって説得していたものですが、今は考えを改めました。それは、あなたの宗教は間違っているといって戦争するようなもので、家相を信じる人の気持ちはその人にしか分からないからです。家がそこに住む人にとって安らぎの場所であるためには、思い通りの家が出来たという満足感が必要でしょう。その人にとって家相が大事なものであれば、設計者もその意思を尊重しなくてはならないと思います。世界中の人がそう思ってくれるとテロもなくなるだろうなあ。
2004/06/15 小林
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このごろ思うこと
「身近な犯罪」
息子宛に「最終通告書」なるハガキが届きました。有料サイトの料金を督促するものです。ホーー、これが最近流行の架空請求書か、フムフム。我が家も流行に乗り遅れなくて良かった、ってオイオイ。おどろおどろしい脅し文句が並んでいて、会社まで乗り込んで給料を差し押さえるって、息子はまだ大学生だしね。もっともらしい社名が書いてあっても、住所もなければ電話番号は携帯だし、請求金額も書いてないお粗末。これで引っかかる人はいないだろうと思いますが、そうでもないみたいですね。
いつの頃からでしょうか、普通の人にも犯罪が身近なものになったような気がしませんか。昔は特定の社会の特殊な人間が犯罪者で被害者で、普通に暮らしている人は犯罪と関係なかったように思います。統計的にも犯罪が非常に増えているようですね。まさに「人を見たら泥棒と思え」か。ウーーン、日本はどんどんダメになっているのかなあ。
住宅の設計をしていても、ガラスをどうするとか、ロックはどうしてとか、必ず侵入盗対策の話はしなくてはなりません。警備会社のホームセキュリティを導入する家もあります。昔はそんなことは話題にもならなかったような気がします。玄関ドアをダブルロックにする、ガラスに防犯フィルムを張るとか、色々な方法がありますが、私がよくやるのは人感センサー付きの投光器です。実際の被害は日中の方が多いようですけど、庭や駐車場に投光器をつけると何となく安心ですし、実用面でも便利です。道路側に取り付ける場合は、道路まで赤外線が届かないように感知範囲の調整に気を使います。普通に道路を歩っていて、急にパッと照らされた経験はありませんか。あれは理不尽に泥棒扱いされたような気がして腹が立つものです。
2004/03/07 小林
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このごろ思うこと
「庭付き?一戸建て」
我が家(兼事務所)の庭に一本の白梅があります。いち早く春の訪れを伝えてくれる梅の花がとても好きです。もっと楽しみなのは6月ごろ、梅の実の収穫です。むしろ飲んべえの考えるのは花よりも実ですね。梅酒を3瓶ほど漬けて、さらに豊作の年は梅干しを作ります。梅酒は簡単ですけど、梅干しはけっこうテクニックが必要で、それがまた楽しい。梅酒にしても梅干しにしても市販の梅を買った方が楽ですし、良いものが出来そうですが、やはり自宅の庭で収穫したもの使ってお父さんが作ったんだという、自家製、手作りの味が楽しいですね。
建築設計で飯を食っている者としては非常に恥ずかしいのですが、植栽についてはさっぱり知識も自信もなく、設計に必要な場合はその手の仲間に助けてもらっています。依頼主の中には庭造りに熱心な人もいて、そういった人は樹木・草花に実に詳しく、打合せをしていてもこちらが赤面してしまう有様です。もともと庭いじりが好きじゃないのです。自宅の庭にしても、白梅は何の手入れもしなくても律儀に実を付けてくれるので有り難いのですが、垣根の剪定や雑草の刈り取りがおっくうで、「もう伸びるな」と呪文を掛けています。呪文の効き目はありません。
「庭付き一戸建て」という常套句があります。アパートやマンションとの決定的な違いを強調する言葉であり、庭の存在が「家を建てたぞ」という満足感を象徴しているかのようです。ところが、住宅の設計をしているとプランやデザインにばかり話が偏ってしまって、庭をどうするのか、扱いがおざなりになりがちです。「当面は子供の遊び場に」、「植栽はいずれ自分で」という話で終わってしまいます。本来は庭も住宅を構成する重要な要素であり、見た目にも街並みの一部としても、生活にも直結する問題なのです。庭を綺麗に維持するためにはそれなりの手入れを継続することが必要です。庭に愛着を持つこと。家庭菜園もお勧めです。自戒の思いを込めて。
2003/02/19 小林
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このごろ思うこと
「朝鮮半島の明暗」
もうすぐ2002年も暮れようとしています。今年は日本と朝鮮半島との関係の変化という意味で記憶に残る年になるでしょう。対照的な二つの意味において。
一つは、サッカーのワールドカップを契機に韓国に親しみを感じるようになったことです。日韓両国の関係は「反日・嫌韓」という時代が長く続きました。日本人としては(私も)「自分を嫌うやつを好きになれない」という気分が大勢だったと思います。それが政治の力ではなく、○○条約でもなく、W杯では互いの国を応援し、民間の交流によって相互理解が進んだということに画期的な意味があります。今ではテレビで韓国の歌手が歌っていても何の違和感も感じなくなりました。微妙な問題も色々ありますが、単純に「良いこと」と思っていいでしょう。
もう一つは、拉致問題を初めとする北朝鮮との関係の難しさです。多くの日本人にとってほとんど関心の無かった国のことが少しずつ分かってきましたが、相互理解は困難です。拉致被害者達は私と同世代で、親のことも子供へのことも、「家族愛」というテーマが多くの人の共感を得ていると思います。実は被害者家族の報道番組を見ていて不覚にも涙を流してしまいました。それにしてもあの国の非常識ぶりは怒りを通り越してあきれてしまいます。正式名称の「民主主義」も「共和国」も世界の常識とはずいぶん解釈が違うようです。
国家体制の違いによって日本人の感じる印象も絶望的に違う南北両国ですが、長い長い歴史の朝鮮民族の伝統は同じもののようです。報道の中の関連で「オンドル」という言葉が出てきました(怒りのあまりのオンドリャー!ではない)。朝鮮の伝統的な暖房方式です。漢字では「温突」。
仕組みはいたって簡単なもので、かまどの煙道(排熱)を居室の床下を通して床全体を暖める、いわば床下暖房です。床は石や土を塗り固めて出来ているので、蓄熱効果(熱容量)が大きく、床面からの穏やかな輻射熱による暖房です。現代の韓国では温水配管による方式が一般的なようです。オンドル方式の特徴はジワーっとながーくですね。一旦快適な温度になったら、その温度を維持するだけの熱量を補給する熱源があればよく、温度変化を小さくすることでローコストで快適な暖房効果を発揮できます。練炭1個で一日暖房できるという話を聞いたことがあります。
西花苑・将監・松が丘の家で採用した床下放熱暖房も考え方は同じです。外断熱とベタ基礎で家全体の熱容量を大きくして、床下・壁内部・天井裏を暖気が循環するように工夫しています。温水ボイラー1台で家全体が暖かく、快適な暖房システムです。
2002/11/21 小林
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このごろ思うこと
「走れ!イチロー」
大リーグでイチローが大活躍です。パワー勝負の大男の中に混じって、テクニックとスピードでアメリカ人を驚かせる姿は日本人にとっては痛快なものです。仙台出身の佐々木も頑張っています。自宅で自営業というオジさんは日中でも生放送を見てしまうものもしょうがないですね(誰のことだァ?)。もっとも、彼らには日の丸を背負っているつもりはないでしょうし、単純に野球を楽しんでいる野球小僧に見えます。それがまたいい。
日本は言うまでもなく出口の見えない不況の中にあります。政治は混迷し、様々なモラルも崩れ、犯罪は増える一方。多くの日本人が「日本はもうだめなんじゃないか」って自信を失っているかのようです。私もその一人かもしれません。少なくとも高度成長期のような活況はもう永遠にないだろうと思っています。特に建築業界の低迷ぶりは深刻なもので、小さな設計事務所を維持するのは大変なことです(シンミリ)。
日本中が喜ぶような明るい話題の少ないなかで、イチローの活躍は日本人に勇気を与えていると思います。「まだ日本もやれるんじゃないか」って。これは明らかに大きな勘違いなんですけど、勘違いと分かっていても「よし、オジさんも頑張るぞ」と思ってしまうのは私だけではないでしょう。彼は震災で打ちのめされた神戸市民にも勇気を与えてくれました。とにかくイチローが打つと元気が出ます。走れ!イチロー。
01/08/14 小林
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