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【エリザベート】 -愛と死の輪舞- 脚本・歌詞:ミヒャエル・クンツェ、音楽:シルヴェスター・リーヴァイ オリジナル・プロダクション:ウィーン劇場協会 潤色・演出:小池修一郎、演出:中村一徳 花組/宝塚大劇場/02.10.22 出演:蘭寿とむ、遠野あすか、桐生 園加、愛音 羽麗、桜 一花 ほか 主演からアンサンブルまで安定した歌唱力をほこった公演。本公演以上に発見の多い、ハイレベルな新人公演となった。 |
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またアンサンブルのがんばりもすばらしく、「ミルク」の場面など、とても上級生が減ったと思えないほどの迫力でした。減ったといえば、人数が減ったおかげで、アンサンブルのコーラスの歌詞が分かりやすかったというおまけも。 残念だった点は、メロディにのせてすべるように歌を展開するのが難しいようで、テンポを外し気味のところもいくつか。
パッと出た雰囲気は、東宝版の山口祐一郎トートにも通じる、ドッシリした貫禄の「闇の帝王」で存在感抜群。 歌は、膨らみのある華やかな歌唱力で、聞かせてくれました。しかし、この華やかで明るい声質が、冷たいイメージのトートと相反するのは苦労のしどころだったと思います。歌い上げる迫力はありましたが、語尾が単調なのばし方になる点は今後の課題。 後述しますが、遠野あすかのエリザベートも押しが強く、独尊的な一面があるので、そういうヒロインを受け止めるには、蘭寿トートぐらいガッチリしているのもバランスがよかったと言えます。
歌唱力、特に高音の伸びが美しく印象的。「私だけに」のしっかりした歌い上げもさることながら、「夜のボート」のしみじみとしたソプラノは特に絶品。 役づくりでは彼女の現代的で等身大の魅力、また相手役がいなくてもブイブイと芝居をしていけそうな強さが、率直にでていたエリザベート。一言で言うと、「エリザベートの罪深さ」を明確に表していたように思えます。 彼女の現代的な要素が、19世紀に生まれるには早すぎ、まして王室に嫁いではいけない人間だった、と観客に強く納得させることにつながっていたと思います。つまり遠野シシィは伝統音楽の世界に入り込んだ、電気エレキノイズのような印象なのです。オリジナル脚本のクンツェ氏はトートを新時代の訪れを象徴する存在として描きましたが、遠野シシィもそれに通ずるものがあります。 これは新公ということで美貌を磨く描写や、式典シーン、子持ちになるシーンなどが短縮・省略されたため「美貌の皇后」というイメージが弱まったことも影響しています。他の本役シシィには、その美貌を武器にすればなんとか生きていけるのでは?と思わせる余地がありましたが、新公シシィには最後まで「王室に飛び込んだ自然児」の印象だったように思います。 エリザベートという、19世紀の人間が御しきれなかった荒馬を、唯一乗りこなせたのはトートだった。現代的な遠野とガッシリした蘭寿に合った、いい演出だと思います。(それでも50年近く待たなきゃダメだったんだけど)
非常に美しい声が印象的。エリザベートへの愛があふれる、優しい皇帝でした。 銀橋での「嵐も恐くない」のデュエット、エリザベートのドアの前で歌う「エリザベート」は、ひとつひとつの言葉に心情がこもり、本当に丁寧に丁寧に歌っているという印象を受けました。 年老いてからのエリザベートとのデュエット「夜のボート」など、そのハーモニーの美しさ、情感の豊かさなど、まさに絶品といっていいレベルでした。
発声や台詞まわしに臆したところが若干あったものの、ルキーニとしてはかなりのレベルでした。特に表情の作り方が素晴らしい。大きな目を剥いていきいきと動かし、冒頭客席の視線を釘付けに。容貌もスッキリした中にも、時折屈折したものをのぞかせ、暗殺直前、トートからナイフを受け取るシーンなど、完成度の高い“狂気”を表現していました(演出的には星組紫吹ルキーニを周到)。 2幕最初の写真撮影(客席入り口から登場し、観劇中の上級生に「男は入らないで!」)など、お遊び場面での余裕もかなりのもの。
最初聞いた時は、期待と不安、特に不安の方が大きかった配役。ところがドッコイ!今回最も新鮮でもっとも敢闘していた生徒といっていいでしょう。この小さい体で、男役もそこのけそこのけの迫力。 「宮廷ただ一人の男」の台詞に送られて出た時は、恐く作ろう作ろうとしてか、やや生彩を欠いていたものの、「冷静に〜冷酷に〜」と歌をうたい、台詞を発しているうちに、しっかり持ち直しはじめ、「幸運なオーストリアは結婚を!」のキメ台詞は発声・演技ともにバシッと決まった感がありました。続くバートイシュルの場面ではコメディエンヌぶりを、結婚式では歌唱力と歌唱での表現力・演技力を発揮し、本役をしのぐ勢い。 また、ことさら老け役に徹するのではなく、美しくみせつつ迫力と恐さを加えたメイクはポイント高かったです。TPOにあったカツラのセンスもなかなか。 本役は男役ハッチ(夏美よう)さんでしたが、新公では小さくてかわいらしい娘役が演じたゾフィー。しかし、むしろこんな小さい女性が、宮廷に恐怖を与えているという状況に、かえってゾフィーというキャラクターの強さが浮き彫りになっていました。
本日の敢闘賞第二号。伸びやかな歌声は大きな魅力。闇におびえる繊細さと光を求める力強さのあるルドルフでした。特に繊細な部分は「ルードヴィヒII世」での少年時代役が生きていたように思えます。 トートとのデュエット「闇が広がる」は、出だしこそハーモニーを作りそこねていたものの、中盤(キーが入れ替わるところ)以降グングン良くなり、歌い上げて終わるころにはそれぞれの声がぶつかり合い、鳥肌が立つほどでした。
一生懸命すぎてむしろ滑稽になってしまった、そんなおかしくも悲しいヘレネを好演。あの妖艶なマデレーネとは思えないほどのコミカルさでした。 立ち姿にも花があり、目玉(?)である「変なヘアー」も娘役としての美しさと、ヘレネとしての気合いの入り方、さらにゾフィーが文句を付けるスキとが絶妙に組み合わさったいい髪型。本役レベルのひとりです。
七星きらのマダムヴォルフは的確な役づくりと、腹に力のこもる力声で本役レベル。マデレーネの花野じゅりあも蠱惑的でキュート。リヒテンシュタインの水月舞は台詞も聞きやすく、平均台からおちた皇后を介抱する演技などにしっかりしたものを見せた。スカイフェアリーズとして急上昇中の華形ひかるはエルマー。スラリとした等身と華やかな雰囲気が際立っていた。
新人公演といえば若手の張り切りで、客席を湧かそうとギャグやコントを盛り込むのが通説となってきていますが、それが思いきり全面に出て、逆に裏目に出てしまったのが前回の月組「長い春の果てに」だったと思います。 今回は積極的に笑いをとろうという演出はありませんでしたが(というか、作品の大きさでそんな余裕はなかった模様)、二幕三場「ゾフィのサロン」(ゾフィとその取り巻きが娼婦の宅配を思い付く場面)で少し際立った演出がありました。ゾフィを中心に家臣が集まって密談「面白いアイディーア」と歌う場面です。ゾフィは迫力ある女性ですが、今回演じた桜一花は娘役の中でもかーなーり小柄。そこをクローズアップして、とりまく家臣の男役たちがギッチリよりあつまり、彼女をスッポリと隠してしまいました。 さらにその後、ゾフィの周りを周りながら引っ込むのですが、ゾフィの前を通る時は、ことさらに体をかがめて、彼女の小ささを強調。どぎつい演出変更や、下種なアドリブなど入れなくても、ここまで笑いを起こせるのだという、いい証明になったと思います。 新公ということで短縮され、演出変更された二幕一場「ハンガリー戴冠式」〜「私が踊る時」までの場面。ルキーニの解説にあわせて、オーストリー地図の幕が透けて紗幕になり、その向こうで戴冠式の様子が見える。オリジナル・エッセン版などに近い演出になっています。今回挿入された「私が踊る時」はこの後に挿入されるのですが、本公演で気になった「いかにも間にいれた感」が、新公版の方が薄く、演出・脚本の妙 を感じました。
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