●火葬場で初めて骨を見たとき、あんまり小さくなったので驚きました。それまでは、理科室の標本の骸骨みたいになるかと思っていたので。
(ayaranさん)
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●外科やの、歯科やのお医者さんの親戚が多い一族です。いきなり葬式の後のお食事の席で、外科の親戚が骨壺開いて
「これが頸椎の何番目の骨で、仏さんが座っているみたいに見える骨だ」
と親族に回覧したのには、びっくり。
(にわこさん)
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●亡くなった祖母は寝たきりでした。火葬場のおじさんが骨の状態をみて
「最後まで意識のはっきりしていた人でしたね。
足が弱っていましたね」
と言ったのが忘れられません。分かるんですね。
(ナカムラさん)
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● ストレッチャーに乗せられて、母の骨が運ばれて来た時、涙する方がいる中、その担当者氏は開口一番
「いや〜、りっぱな骨ですねえ。
女性の方は普通あまり残らないもんなんですけどねえ。」
と、骨を誉めちぎってくれました。骨そしょう症の検査じゃあるまいし、火葬場で骨を誉められても、どうリアクションしたものか、困ってしまいました(笑)
骨壷はSMLといくつかサイズがありましたが、せっかく「りっぱな骨」が残ったのに、骨壷で窮屈なのは可哀想とも思い、Lサイズでお願いしました。
いよいよ骨を拾うことになりました。すると、担当者氏、今度はいちいち
「これが○○骨です。ちょうど、この辺の骨です」
と自分の身体を指し示しながら、解説してくれて、一同理科室での実験のように、
「へーこんな形してんのねー」
と、覗きこんでは、感心する始末。悲しみもへったくれもなく、拾っていきました。
私が骨を収める順番についてたずねたところ、足の方から入れていき、最後に頭蓋骨と、天と地が逆にならないように、骨壷のなかで仏が座っていられるようにするように言われました。この解説の元、
「これは、右?」
「いや、こっちが上だよ」
と一同真剣に、仏を座らせるべく、慎重に骨を収めて、まるで立体ジグソーパズル。
一通り拾い終わると、残った細かい部分と灰のすべては、くだんの担当者氏が、小さいサイズのほうきと塵取りできれいに集め、頭蓋骨の上から、ざらざらと入れていきました。というわけで、ストレッチャーの上にあった、灰はすべて、骨壷に収まりました。関西の場合、残った部分はどうするんですか?
余談ですが、関東の場合、すべてを骨壷に収める習慣のため、ガタイのいい仏の場合は、Lサイズの骨壷でも収まらないことがあるそうです。そういう時は、あらかじめ、特注サイズの骨壷を用意するか、それがない場合は細かく砕いて、とにかく詰めこむらしいです。
親戚の話では、私の大叔父にあたる人物で、ガタイのいい人がいたらしいのですが、その人の時は、どうしても頭蓋骨が入らず、 ばきばきとむりやり蓋をしたということです。
いまでは、
「あの人は、昔ラグビーやってて、兵隊に行くときも甲種合格で、
太平洋沖で乗っていた戦艦が沈んだときも、
四日間泳いで千葉の海に自力でたどりついた人だったから、
骨もりっぱだったのねえ」
と親戚の間では、りっぱな武勇伝になっています(笑)
(RIKIさん)
----うちの地方では、くだんのような掃除機やちりとりはありませんでしたねー。
関西限定じゃないと思いますが、持ち帰れず残ったお骨(の粉)や、どうしても火葬場から出てしまう粉などは、ひとところに集められて、それなりに供養されているようです。
そういったお骨をひきうけているお寺は、人にいい印象を与えないせいか、あまり公表したがりません。
しかし、長生きした方の骨は、失礼ですが、そんなに食料事情のいい時代のお生まれとも思えないのに、非常にガッチリしていることが多いですよね。
この「四日間泳いで」千葉の海岸、という猛者は、さすがというか。当然といいますか。他にも…
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●父は50代でしたので、骨が重くて箸から転げ落ちそうでした。大きめの骨壷だったので、無事入りました。祖父の時は、小さめの骨壷だったのですが、火葬場のオジサンが風変わりな木の棒でメリメリッと押しこんでくれました。
(ayaranさん)
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●叔父は50で、ガンで亡くなったのですが、骨が砕けずに骨格標本のように綺麗に残りました。
骨壷に収まりきらず、火葬場の人と親族とで思わず苦笑したのを覚えています。
「ああ、最後まで身を張った笑いを、、、」
と、生前身を張って周囲の笑いを取ってきた叔父の人柄を、思い起こしています。
(布熊さん)
----等々、骨壷に納めるのが大変だった、という方、けっこういらっしゃいます(うちもだけど)。
最近の骨壷はサイズだけでなく、色や素材もいろいろなものが出回り始めていますから、とことん凝ってみるのもポリシーですね。
骨壷をお墓に納める話については、また後程。
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