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 生まれて初めて「お葬式」に参列したのは物心つく前でした。
 幼稚園に上がる前くらいだったでしょうか?退屈で退屈で、パイプ椅子で足をぷらぷらさせて時間がたつのを待っていた記憶しかありません。当然、仏さんが誰かなんて、さっぱりわかっちゃいませんでした(そして今でもわからない。ごめんなさい、あの時の仏さん)。
思えばこれが私の“冠婚葬祭デビュー”でございました。

 デビュー戦が無意識下で終了して、実質的に最初のお葬式となったのは、ず〜っと下って24歳の時。会社の上司のお母様が亡くなられ、会社から弔問&お手伝い部隊が派遣された時のことでした。
 急な話で(だいたい赴報というのは急なもんだ)、ウチには黒いスーツはあっても数珠の用意が出来ず、やむなく、というか運良く会社の500m先にあった仏具屋に昼休みに駆けこんでいきました。
 店番のオバちゃんに、これこれこういうわけで手ごろな女数珠をと説明すると、みるみる義侠心に燃えたオバちゃん、お手ごろでそれでいて安っぽくないものをバシッと出してくれ、さらに“およばずながら助太刀いたすっ!”といった顔つきで

「急なことで大変でっしゃろ、これもつけときまっさ!」

オマケで仏具用チャッカマン「ともしび」までつけてくれたのでした。
 結局、その日社員部隊は弔問客の案内と記帳の作業に従事したため、オバちゃんの心尽しは登用する余地がなく、「ともしび」は私のアロマテラピーの為に働くことになったのですが…。
 そしてこの時の葬儀で一番印象深かったのは、花輪の送り主がどこの会社か?ということと、この「ともしび」でした。

 さて、初めて遺族としてお葬式に関係したのは、母方の曽祖母が他界した折でした。うちの一族は数が少ない上、皆々長寿なもので「出す側」に回ったのはあの「ともしび」の2年後。同年代でくらべるとベラボーに遅い方です。
 しかし、逆に遅かったがゆえに「お葬式」に関するあれこれがイッペンに頭に入りこんできて、

「えっ?お葬式ってこんなにタイヘンなの?」
「えっ?葬儀社ってこんなこともしてくれるの?」

という、一種のカルチャーショック。そして

「ぐえっ!お葬式ってこんなにかかるの!!」

という、純粋な初心者の驚きに満ち満ちていました。
 そしてその驚きは、母方の曽祖母の葬儀に続くこと翌年。こんどは父方の祖父の他界の際、

「ひえっ!仏壇ってこんなにいっぱいあるの?!」
「うそっ!お墓ってそんなに足りないの?!」

という、いわゆる“長男の家”(ウチの父は長男なのだ)につきものな仏事問題に触れて、さらに大きくなったのでした。

 と、いうわけでこのコラムでは、私が感じた「お葬式」に関する驚きや笑いを、これまでのタッチでお伝えしていこうと思います。少々の不謹慎はご勘弁を。
ただ、山本は関西人なので、お葬式のしきたりなど関西のイナカ独特のものもあるかと思います。その点ご了承ください。

 また、このコーナーでは私の体験だけでなく、みなさまのご意見・体験談なども掲載していきたいと思っています。ウチの地方ではこんなお葬式のしきたりがある!とか、ウチの葬式でこんなことがあった!など、なんでも結構です。どんどんメールでお寄せください。お待ちしています。

それでは「葬送狂騒曲〜泣いてるヒマなどありゃしない〜」本編へどうぞ!

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Chizu Yamamoto
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