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From: アルカヘスト <anahita@big.or.jp>
Subject: 弱法師
Date: 2000/03/07 00:02:55

能 弱法師 よろぼし 喜多流

シテ 粟屋菊生

形式 四番目物

作 観世十郎元雅

素材 弱法師俊徳丸† 摂津国西成郡天王寺縁起 日想観†


弱法師俊徳丸〜弱法師は俊徳丸の渾名。盲目となってよろめき歩くことから、よろよろと歩く法師。

日想観〜『観無量寿経』より。西に向かい、日没を観て極楽浄土を観想すること。


あらすじ
1.高安の通俊は人の讒を入れて我が子俊徳丸を放逐してしまった。後悔して、天王寺で施行を行う。

2.盲目の青年が登場する。人の身でありながら辛い年月を過ごし、悲しみのあまり盲目となって、
 あの世ではないこの世にありながらにして闇路に迷う身の上を嘆く。そうしながら、仏法最初の
 寺、天王寺へとやってくる。

3.弱法師は通俊の施行を受ける。施行(米か?)を袖で受け止める折、梅の花が散りかかり、仏の
 慈悲を感じて恩沢を喜ぶ。

4.釈尊は去り、弥勒は未到来であるこの中間の時期に、聖徳太子が仏法を弘めた。天王寺の金堂
 如意輪観音は太子の本地仏であって、まことにありがたい、と弱法師は賛嘆する。

5.通俊は弱法師が我が子であることを悟るが、人目があるので、夜に名乗ることにして、日想観を
 勧める。やがて日没となる。

6.弱法師は心眼で、かつて見た難波周辺の美観を思い浮かべ、見るとは目でなく心で見るのだと
 喝破し、「満目青山は、心にあり」と観ずるに至る。しかし、見えるつもりで歩き回ると通行人
 に行き当たり、現実の不自由を思い知り、我が身を恥じる。

7.夜も更けた頃、通俊は弱法師に出自を尋ね、我が子であることを確認すると、自らも汝の父である
 と打ち明ける。通俊は父と死って逃げる俊徳丸の手を取って、高安の里へと帰っていく。



詞章
浄瑠璃「しんとく丸」にも流れた能の名曲。日本画の題材としてもよく扱われるので有名。現在は
シテが盲目の様で杖をつきながら一人で演じられるが、世阿弥の頃には女性のシテツレがいて、夫婦
で登場していた。本曲が作られた当時、天王寺に夫が盲目の夫婦が現れて、噂となったという。
能「望月」には盲御前が登場する。中世では目の見えない人たちが芸能にたずさわっていたらしい。
蝉丸もそうですね。

本曲の詞章中には、シテが一人ではないことを示す謡がいくつもある。まず、一声後のサシで弱法師
は身の不幸を託つのに、なぜか鴛鴦比目の喩えを出して、妹背の山を裂いて流れる吉野川のように
つらい世の中だことよと嘆く。鴛鴦比目と言えば、仲の良い夫婦のことであるし、妹背の山については
説明も必要ないであろう。
また、施行の場に現れた弱法師にワキ通俊が「いかさま例の弱法師な」と訊ねたときに、シテ弱法師は
「われらに名を付けて、皆弱法師と仰せあるぞや」と応える。われ、ではなく、われら、となっている。
目の見えない者が頼るところもなく一人で生きていくことはほとんど無理だっただろうとは容易に察
せられる。ということは、生活の道がなく、若く魅力的でもない、つまり妻や夫の介護もあてにできない
独り者が盲目であった場合はどうであったのか。
今も変わりませんか。

弱法師夫妻は天王寺でどのような芸能または芸能に類することをしていたのだろうか。天王寺の縁起や
太子の本地仏の話をしていたのだろうか。あるいは、本曲の見せ場である日想観の効能を説いていたの
だろうか。盲目の身に心眼が開かれると訴えていたのだとしたら、胸打たれずにいられない。なぜか
弱法師は仏の話になると饒舌となる。その勢いはどこか青年期特有の自我主義的雰囲気すらある。
三島が弱法師からこのテーマを敷延したのは御存知ですか。

弱法師の勢いは、施主通俊をたしなめるほどだ。日想観を勧められて受け入れ、心に思う天王寺の東門を
弱法師が拝むとき、「それは東門でなく西門だぞ」と指摘される。すると、盲目故の齟齬に弱法師が悲しむ
こともなく、「天王寺の西門は西方極楽の東門となってつながっていると言われているではないか」と
即座に反論する。実際当時はそのように言われていたらしい。詞章を読む限りでは、間違いを即座の機知
でやり返したのか、西門であることを最初から承知していたのか判然としない。ただ、現実の世界という
ものを、見える世界と仮に措くならば、弱法師の向かう世界は、見える世界の向こうにある光輝燦然たる
心的世界であることは言うを俟たない。弱法師自身がその身を喩えて言うように、生きながら中有の闇に
迷うような知覚の混迷の中にあると感じているのならば、観想を通して得られる光はどれほど彼自身の
視覚の復活を補償するものであったろうか。弱法師にとって仏の世界を観ずることは、漠然とした来世への
希望ではなく、「満目青山は、心にあり」という宣言にまて至る、現実を細部まで覆い尽くす心的世界獲得
のためのただひとつの方途だったのではないか。盲亀浮木。中有で亡者が光にしがみつく一念が弱法師の
心眼に焦点を結ぶ。こんな弱法師青年を彼の妻はどう見ていたのでしょう。

よく本曲を評して、「自我衝動に純粋な青年と、現実感に長けたエゴイストの父親との対比」が芸術化され
たものである、などという理解で塗りたくられる場合があるのだが、舞台をどう見ても、詞章をどう読んでも
そんなにも皮相な構図は表れてこない。なにもそれは宝生閑演じるワキの通俊が慈悲深く見えるという理由
にのみ留まるものではない。たとえば、今回の演出では、達観した弱法師が一人で高揚し、「見える、見える
のだ」と歩き回って、人に当たり、転んでしまう最も劇的な場面で「足もとはよろよろと」と地謡が謡う箇所
がある。そこで今回のシテは杖を胸元に持ち上げて、舞台中央でさかんにその杖で地面を引き寄せる所作を
した。以前中野で同じ弱法師を観たときにはこの演出は無かったように覚えているのだが、記憶違いか。
とにかく、私には、立ち上がり杖で地面を何度もかいている様子が、自分を取り戻そうと、あるいは
落とした何かを慌てて引き寄せようと、さもなくば、地面に何度も触れることでこの現実世界を再び固定し
ようとしているように思われた。視覚をなにかに置き換えるということは、この三つのことを同時に行うこと
なのだということを示すすぐれた所作ではないだろうか。単に広い心的世界の中から自我の機能を突出させる
ことだけに俊徳丸が熱心だったとは思えない。地面という知覚の基準があって、身体という場所があって、
それから観想のための己の世界が同時に機能する必要があるのではないか。
付け加えるならば、あれほど洞察と表現に優れた頭のいい弱法師は、なぜ最初に施主の声を聞いたときに父親
だと分からなかったのか。単に劇作上の必要からか。そうは思えない。父に名乗られた夜、俊徳丸はそれと
知って逃げようとしている。彼にとっても動揺を誘うほどおもいがけないことだったのだ。ではなぜおもいが
けないことだったのか。彼には父親と再開することなど夢の外だったからか。違う。おそらくは盲目の身であって
も自分が手に届くこの世の幸せの場所を予感していたのだ。だから父の許へ戻ることは希望の中に数えられて
いなかったのだ。
その幸せとは、自分の手を引いてくれる伴侶との幸せではなかったろうか。見えないことの不幸とは、正に
盲目という障害が妹背の山を裂いて流れる吉野川のように、愛する者の姿を目に留められないそのことで
はなかったのか。